【6期生】加藤田 翔環

語学留学体験談

私が通っていたCIAという学校の留学体験を書きたいと思います!

私の行っていたCIAは、セミスパルタ校です。毎朝デイリーテストがあって、それに合格できない、またはそれを受けなければその日の外出は出来ません。そして、1週間の朝のデイリーテストの合計点が合格点に達しなければ、翌週末は外出制限がかかります。

授業は朝の8時から始まり、午前5時間、午後5時間の計10時間毎日勉強します。授業内容はコースやレベルによって違いますが、私はman to manが4コマ、3~4人の少人数クラスが2コマ、6人~10人程の大人数クラスが2コマ(うち1コマはネイティブ授業)と強制自習のself studyが2コマです。

English only制度があるため、8時から18時までは英語以外の言葉を喋ると、5ペソの罰金があります。policeが巡回しているため、見つかれば名前を控えられ、罰金を払います。

門限は日曜日から木曜日が22時まで、金曜日と土曜日が24時です。門限超過の場合は、翌週末の外出制限がかかります。コースが、ESLという語学留学のコースとbusiness Englishというビジネス英語を勉強するコース、IELTSコース、TOEICコースの4コースで、私はESLコースを勉強しています。

初日の授業は、とても大変でした。私はレベル分けテストを受けていないため、大体のレベル分けでクラスが決められていたのですが、先生と合わなかったり、英語のレベルがあっていなかったりなどついていけない授業も多くありました。初日の大人数授業で先生の言っている意味が理解出来なく、当てられても答えれなくて怒られることもありました。頼れる人も周りに居なく、言いたいことはあるのに伝わらないのが悔しく、ひとり泣きながら授業を受けていました。そのため、授業を変えてもらったりもしました。最初は辛くて辛くて、早く帰りたい、6期生のみんなと早く会いたいと思っていました。 しかし、2日3日と経てば徐々に言っていることも理解出来てきて、言いたいことも文章には出来ませんが、伝えることができて来ました。

毎日の2時間の強制自習の1コマはwriting self studyというもので、文章を読んで与えられた20個の単語のうち10個を使って150単語以上の感想文を書かなければいけないという課題もあります。その課題は次の日のman to manのwritingの時間に添削してもらい、添削された文章を清書しなければなりません。そういった課題の中でボキャブラリーや文章力が身に付きました。最初は難しいと思っていた授業もだんだんと楽しくなり、後半はもう少し長くいたかったと思うくらいです。

man to man授業では、listening、writing、reading、speakingの授業があって、それぞれ違う先生が付きます。どの先生もとても親切で、細かく質問がないか、分からなかったところはないか聞いてくれます。1回しか受けてない授業などでも先生は名前を覚えてくれて、廊下などですれ違ったら声をかけてくれます。とてもフレンドリーな先生が多いので、とても楽しい毎日を送っています。

親日な先生が多いため、日本のことをいろいろ聞かれたり、アニメの話で盛り上がったり、中にはJapanese notebookと言って日本語をたくさん書いて覚えようとしてくれる先生もいます。先生とFacebookを交換したり、携帯に入っている写真を見せあったり、毎時間の授業がとても楽しかったです!! 日本語を覚えてくれる先生は、毎回のように覚えたての日本語で「寂しい、帰るな」と言ってくれます。来年は長くまた来てと言ってくれる先生もいます。

グループレッスンでは、自分のレベルにあった授業を受けることができます。同じグループレッスンを受けてる人とはすぐに仲良くなれ、その友達の友達などと仲良くなれたり、人脈がとても広がります。

最終日には、いろんな先生から、Congratulations!と言われました。とてもとても嬉しくて、寂しかったです。ある先生からは、最後の授業の時にメッセージ付きのお菓子を貰いました。とても嬉しかったです。同時に帰りたくないとも思いました。 私はCIAが大好きです。私はまたCIAに帰ってきたいと思います。

ボランティア体験談

1日目は、ロレガ地区、青空教室、山村集落に行き、子どもたちと触れ合いました。

まず、ロレガ地区では、最初に教会に行き、子どもたちと初対面をしました!子どもたちのいる部屋に入ると、大勢の子どもたちに囲まれ、「What your name」と何度も聞かれました。その後も、元気いっぱいの子どもたちとたくさん遊び、楽しい時間を過ごせました。ロレガ地区の見学では、家の中を見せていただきました。どんな質問でも答えてくれました。ここに来て知ったことは、フィリピンの人は皆温かいということです。大人も子どもも声をかけてくれて、いろいろな話をしてくれて…。人の温かさに触れることのできたひとときでした。その後に行った青空教室でも子どもたちはすぐに懐いてくれて、とても仲良くなれました。山村集落では、折り紙の鶴を折ってあげると男の子が「教えて!」と来たので、教えてあげました。帰る頃には覚えて何度も作れるようになっていました山村集落でも青空教室でも、最後には「L love you」や「I miss you」、「You are my mother」などと言われ、とても嬉しかったです。車に乗って出発してからも、車を叩いてバイバイしてくれたことは忘れられません。

また、私が一番印象に残っているのは、2日目に行ったゴミ山です。車を降りると、見渡す限りゴミで、見たことないくらいのゴミの量でした。前期生の時には通れたという道もゴミで塞がれて通れなくなっていました。ゴミ山の広さは東京ドーム約2個分と説明がありました。ゴミ山のすぐ横には日本人が建てたというリサイクル施設がありました。しかし、そのリサイクル施設は機能しておらず、ゴミは増えていくばかりだと説明を受け、衝撃を受けました。私たちが車を降りるとすぐに子どもたちが寄ってきて、それから帰る時まで私の手をずっと握っている女の子がいました。ずっとタガログ語で話しかけてきてくれるのですが、全く理解できませんでした。しかし、彼女は私の手をずっと離さずにいて、色々なところを見せてくれました。ゴミ山で暮らす子どもたちは、トタン屋根の上を滑り台に見立てて遊んでいました。また、集落へ帰ると、火薬のようなものを潰したりコンクリートに擦り付けたりして、パンパン鳴らして遊んでいたました。もし、ゴミが崩れたら…、もし、屋根に穴が空いたら…、もし、それが爆発するものだったら…、そんなことを想像すると、とても怖くなりました。

お菓子やプレゼントを配るとき、小さい子どもたちが並んで、15歳くらいの女の子は並んでいませんでした。
私には弟が2人います。両親からは何も言われなかったが、祖父母からは「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい」「お姉ちゃんなんだから弟にあげなさい」など言われ、色んなところで我慢することが多くなっていました。もし、おやつが2つしかなくて私が食べたかったおやつだったとしても自分より弟に優先してあげたりすることが多くなり、段々自分から「○○が欲しい」などとは言わなくなりました。
私はその女の子がこの女の子が、自分を見ているようでとても辛く、私は彼女にもプレゼントをあげました。すると、女の子は「Thank you」と言ってとても喜んでくれて、私も嬉しかったです。

もっとたくさん子どもたちと遊んで、仲良くなりたかったですが、時間はすぐに経ってしまいます。最初は、あまり話さなくて少し距離をとっていた子供も最後には抱き着いて「See you again」と言ってくれました。とても嬉しかったです。
純粋で素直な子どもたちが大人になった時、そのままの笑顔で安心して暮らせる社会になって欲しいなと思います。
そのために私になにか出来ることがあれば、積極的にいろいろなことをしていきたいと思います。